住まいのかたち
小道の両側に軒を連ねるカラフルな木造家屋は、熱帯の眩しい青空によく似合う。高床と張り出したテラスが特徴的な、奥行きのある平屋だ。
ここではボルネオ島の基本的な住まいの構造を紹介したい。
せっかくなので愛着のあるとっておきの一軒を例に、ボルネオの住まいを案内しよう。
ここはロング・スレ村。道のつきあたり左側、基調の白をフチどった緑のペンキが映える一軒家には、夫・ヘルマンと妻・アウェッが暮らす。
これまでも、そしておそらくこれからも、村を訪れるたびにここで生活することになる。わたしの両親とちょうど同じくらいの年齢で、実子のない夫妻は、わたしを実の娘のように扱ってくれる。わたし自身、ボルネオではこの2人を父母と思っている。
すでに数週間を過ごし、ここでの生活にも慣れつつある。いたってシンプルな平屋。わたしが家の中を不自由なく動き回れるようになるのにも、そんなに時間はかからなかった。
そんな家の間取りを再現すると、だいたいこんなふうだ。
さいしょに私たちを迎えてくれるのは、テラスを囲う柵の前に敷かれた板スロープだ。家によっては階段であったりもする。(間取り図では省略。)まずここで靴を脱いで、川床のように張り出されたテラスへと上がる。屋内へ続く戸口はそのさらに奥だ。
新鮮に感じられる高床式の住居は、地面の湿気を逃し、屋内を風通しのよい環境にする熱帯地域の知恵である。暗く涼しい床下の空間は、薪やロングボートの収納庫であり、犬や鶏などの家畜たちにとって格好の涼み場だ。日常的にスコールが降るボルネオでは、近くの川が氾濫して洪水になることもある。そのたびに家屋まで流されたり、浸水しては大変だ。床を地面より高い位置につくることで、被害を小さくすることができる。高床には多雨地域ならではの事情もからんでいるようだ。
屋根付きのテラスには、きまって長椅子が据えられている。ここは木を削って吹き矢をつくったり、漁網を編んだりする作業場でもあり、昼下がりには村のお母さんたちの井戸端会議の場となる。涼しくなる夕暮れの時間帯は、あつくて甘いお茶をすすりながら1日を反省したり、ふらっとやってきたご近所さんとおしゃべりを楽しんだりする。
真ん中が この家のお母さん・アウェッ。両隣のふたりはご近所のお母さんたちで、彼女の農作業を手伝いにきた。けれど雨が降っているので、おしゃべりしながら止むのを待つ。
スロープとテラスが玄関の役割を果たしているからか、屋内に入るのにも日本のようにもったいぶった廊下などはない。戸口の先に、居間がどーんと構えている。夜中でもないかぎりいつも大胆に扉が開かれているので、屋内といえどプライベートな空間という印象があまりないのだ。床一面に貼られた鮮やかなクッションフロアや採光のよさも相まって開放的である。
ヘルマン家の居間にはテレビがある。
1日の終わりになると、テレビを観たい老若男女がこの居間に集って、インドネシア製のB級コメディードラマを眺める。家族団欒のような雰囲気で、人の出入りはかなり自由。知らぬ間にお客が増えたり減ったりするけれど、細かいことは気にしない。おなじ「居間」という空間一つとっても、日本とはずいぶん異なるようだ。
居間には人だけでなく、光に誘われて巨大なセミたちも集まってくる。電灯の周りを元気に飛びまわっては、バチンバチンと狂ったように体当たりしているのを見ているとビクビクしてしまう。あのデカいのが自分めがけて飛んできたら、たまったもんじゃない。
小さな扉から奥へと進むと、すこしフロアを下がったところに物置部屋と食事場、さらにその先には炊事場がある。
ここは窓が小さいので、昼間でも少し薄暗い。
炊事場から見る景色。奥はダイニングルーム。
居間を抜けてすぐの隅っこには発電機があって、銅線の輪をつまみにひっかけることで、コードが導くそれぞれの明かりを灯すことができる。村から供給される電力は限られているから、ふつうは毎晩きまった時間にだけ電気を使うことができる。その燃料となるガソリンの価格は、ここでは都市の6倍もするのだ。
ここヘルマン家では、ソーラーパネルを使った自家発電もしているので、毎晩テレビを鑑賞するだけの電力をまかなえている。それを可能にした発電機の一台は、以前よりヘルマン家に住みこみながら研究している日本人の先輩が贈ったものだ。余談だが、ボルネオ島、ロング・スレ村、そしてロング・スレ村の父母と、あらゆる出会いをわたしに与えてくれたのも彼である。
この家での食事は、壁沿いに据えられた食卓で済ませる。じつはインドネシアにいると、お店でなければ床に座りこんで食事をすることも多い。そのため食卓での食事はかえって珍しく感じられたりもする。けれどあらかじめ用意されたお米とおかずと唐辛子から、自分の好きなだけを皿に盛って食べるスタイルは、どこへ行っても変わらない。
食卓にむかって右側にある小窓からは、村を行き交う人たちがよく見える。学校の登下校の時間帯は、子どもたちで窓の外がちょっと騒がしい。
そのすぐそばのテーブルは、飲み物をつくる場所だ。飲み水用サーバーの横に、立派な魔法瓶が三本と、巨大プラスチック容器にいっぱいのお砂糖、そしてコーヒーの粉とティーバッグが置かれている。
炊事場は、一ヶ月分の薪が積まれたカマドと、ガスコンロが二台。たしかそのうち片っぽは壊れていた。しかし必要がない限り、お母さんはいつもかまどで料理をする。薪と薪の隙間にインスタント麺やお菓子の空袋がはさまっているので奇妙だと思っていたら、着火剤として使用するのだそうだ。お母さんは毎日、外がまだ薄暗く肌寒い時間から朝ごはんを準備してくれる。
カマドの向かいにも窓と長椅子がある。毎朝やさしい光が差し込むこの場所で、おかあさんお手製のおやつといっしょに、朝一番のあついお茶を飲む。窓の目の前を流れるのは小カヤン川だ。洗濯をする若娘、水遊びをする子供たち、ロングボートの往来・・・。ぼんやり眺めているだけでも、その川が村の生活にとっていかに身近で、欠かせない存在であるかを感じることができる。この村で聞くエンジン音は、車でも、バイクでもなく、ロングボートの船外機の音だ。
ロング・スレ村を見守ってきた小カヤン川。舟の上から撮影。
調理場の横は、もの洗い場とカマール・マンディ(水浴び兼トイレの部屋)だ。
洗い場では川からひいてきた水で、食器洗いや衣類の洗濯ができる。お父さんが森で仕留めた獲物をさばくのもこの場所だ。高床なので、使用した水は床板の隙間からそのまま下へと落ちていく。家の裏を横切るときに、見上げた床から水がざばんざばんと降ってくるのを見ると、誰かが水浴びをしているんだな、とすぐにわかる。ちなみにダヤックに限らずとも、インドネシアの住人は大好きな水浴びを一日に何度もするようだ。わたしは冷たい水をかぶることにまだ慣れない。
衣類は大きなたらいを使って手洗いする。洗剤を入れて、ざぶざぶざぶとするのだが、森に入ったあとなんかは、なかなか汚れが落ちず、何度水を替えてもすぐに濁ってしまう。きちんと洗剤をすすぎ落とすことも、意外と難しいのだ。しかし洗濯をするお母さんの手つきは職人のようだ。いつかわたしもお母さんの技を習得したい。
洗い場には裏口の戸があるから、洗濯が終わって空のバケツに洗い物を詰め込んだら、すぐ外に干すことができる。ただし開放厳禁。油断すると賢い犬たちがすぐに階段をあがって、家の中へと入ってきてしまうのだ!
こんなふうにボルネオの家屋では、テラス、居間、食事場、一番奥に炊事場・洗い場という順に、奥へ奥へと空間が連なっている。この奥行きある平屋構造は、ひょっとすると、かつてダヤックが暮らしていた長屋(ロングハウス)の名残かもしれない。
つい数十年前まで、彼らは1棟に何百人も収まるような立派な長屋で共同生活をしていた。インドネシア政府の指導でそれらのほとんどは解体され、各々が分散して暮らす現在の生活様式がある。ボルネオ島マレーシア側では、いまもなおロングハウスが使われているらしい。共同長屋での生活はどのようなものだったのか、各世帯が一戸建てに暮らすことを彼らはどのように考えるのか。そういった話を、また別の機会に紹介したい。
ちなみにわたしはというと、各所で訪れるボルネオの住まいを心から気に入っている。彼らの暮らしの理にかなった住まいだと思う。わたしはダヤックが営む生活の、「張り詰めていない真剣さ」のようなものに惹かれるのだが、ボルネオの住宅は、まさにそれを体現しているように感じられるのだ。
写真館では、ほかの村の住居のようすも知ることができます。上記リンクより。
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